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【アラベスク】  第11章 彼岸の空



第2節 夕闇の十字路 [14]




 子供の受け入れを拒否したある施設への非難を報道するテレビを見つめ、彼は静かに語った。
「そもそも、悪いのは安績さんやこの施設の責任者じゃない。そういう子供を急増させている世の中全体が悪いんだ。増加させて、対応を施設に押し付けている。そんな世の中の態度が間違っているんだよ」
 口調は静かだが、その両手はギュッと握り締められていた。
「この問題は、施設の人間や一部の専門職だけに任せてしまっていては解決しない。もっと世の中が変わらなければ」
 ツバサには、彼の言っている事が正しいのか間違っているのかはわからない。ただ、問題を人任せにしてゴーゴーと非難だけを浴びせる人たちよりかは、ずっと立派なのではないかと思っている。
 そもそも正しいとか間違っているとか、そういう問題じゃないのかも。でも、もし安績さんのやっている事が間違っていたら、慕って集まってくる人や、頼ってくる子供なんているワケないと思う。
 この家で生活し、あるいは自分の意思で通ってくる面々を思う浮かべ、ツバサはフッと視線を落した。
 シロちゃんも、そうなんだよね。
 進学した高校で苛めを受け登校拒否になり、この施設で暮らすようになった田代里奈。
 だがツバサは、彼女から聞いた言葉を思い出し、少しだけ目を大きくする。

「小学生の頃、唐渓中学の受験説明会で出会った人が、この施設に出入りしてたの。とても親切な人だった」
「確か、レイって名前だったかな。名字は… お、おがさ…… うん、織笠(おがさ)(れい)

 シロちゃんは、別に安績さんを頼ってここに来たってワケじゃないんだ。
 彼女がこの家へ来た理由。その原因になったと思われる人物の名前が脳裏に響き、それは衝動となってツバサの胸をも覆った。
「安績さん」
 気付いた時には声に出していた。
「何?」
 蔓草を手に取っては愛おしそうに眺める安績には、ツバサの顔は見えていない。
(れい)さんってさ」
 袖を捲くり、むき出しになった肘に風がヒンヤリと冷たい。
「お兄ちゃんが付き合ってた織笠鈴さん。今、どこにいるか知ってる?」
 安績は手を止め、しばらくしてからツバサを振り仰いだ。
「前にも言ったけど、鈴ちゃんも、あなたのお兄さんの魁流(かいる)くんも、今はどこにいるのか私にはわからないのよ」
 ごめんなさいねと謝られると、言葉がない。
 兄が唐渓高校を中退して行方をくらました時、ツバサは真っ先に安績を尋ねた。唐草ハウスの存在を教えてくれたのは兄だ。兄もよくここに来ていた。だから不在がちな親よりも安績の方がよっぽどアテになると思えたのだ。
 だが安績は、当時も今と同じように、わからないと答えた。
 兄が失踪する少し前、織笠鈴の方が先に姿を消していた。兄は、彼女の行方を知らないと言った。今思えば、二人の行動は連動していたのかもしれない。
 どちらの存在も、安積はわからないと答えた。
 行方がわかったら、きっと安績さんなら教えてくれるはず。言ってくれないって事は、わからないって事。だからツバサは、今ここで二人の行方を本気で問い詰めようとは思っていない。
 安績の言葉に小さく頷き、ツバサは今度はやや躊躇いがちに口を開く。
「でもさ、あのっ えっとね」
 だが、いざ聞こうと思うとどう言えばいいのかわからない。そんなツバサを、安績はじっと黙って見つめている。()かしはしない。
「あの…」
 相手の態度に、ツバサは少し息を吸って呼吸を整えた。
「その、鈴さんって、シロちゃんが会いたがってるレイさんと同じ… だよね?」
 少し、安績の瞳が動いたようだった。ツバサも気付いた。
 気付かれたと、安績もわかっているようだ。別段自分の反応を隠すでもなく、その瞳をゆっくり彷徨わせ、ツバサの後ろの景色を眺める。
「えぇ そうよ」
「シロちゃんがどうして鈴さんに会いたがってるのか、安績さん知ってる?」
「いいえ、聞いてはいないわ」
「あのね、シロちゃんね、小学五年の時に鈴さんに会って、それで唐渓中学に進学するのを辞めたんだって」
「え?」
 安績が滅多に見せることのない、それは本当に小さな驚き。
「シロちゃんみたいな子は、唐渓には行かない方がいいって、鈴さんに言われたんだって」
「鈴ちゃんが……」
 安績の瞳が虚ろく揺れる。ツバサの後ろに広がる庭を見つめているようで、だがその視線はもっとずっと遠くを見ているようでもある。
「鈴さんの言葉、私にもわかる。シロちゃんみたいな大人しい子、唐渓なんて向いてないよ」
「鈴ちゃんも大人しい子だったわ」
 弱々しく不安定な視線とはあまりに対照的な、ハッキリとした物言い。ツバサは思わず瞬きする。
「大人しかったけど、芯のしっかりした子だった」
 ツバサは思い浮かべ、そうだな と納得する。
 ギャーギャーと賑やかな雰囲気ではなく、どちらかと言うと一歩さがっているタイプだった。でも、言いたい事はけっこうハッキリ言っていたように思う。その点が、兄と似ていると思った。
 兄は、口数は少なかったが、内に強さを秘めているタイプだった。今はそう思える。昔は気付かなかったけれど――――
 赤みに深い群青が混ざり始めた空を見上げる。
 お兄ちゃん、今はどこにいるんだろう? 鈴さんと一緒にいるのだろうか? いるんだろうな。あの二人、仲良かったもん。







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